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責任と私の関係

責任は、英語では responsibility というが、今道友信(1956)によれば、これに相当するギリシャ語単語はなく、responsibilitasなる古典ラテン語も中世ラテン語もない。英語で言えば、responsibility の文献初出は1780年代である。そして、マッキーオンによれば、ジョン・スチュアート・ミルの書物にあり、しかしミルの造語でないという。ミルにおける「責任」は、ほとんどpunishabilityによって表現されている。また、ドイツ語のVerantwortung、Verantwortlichkeitは、19世紀に造語されたのであり、その語義はZurechnungにすぎなかった。日本においては、何らかの悪い結果が発生した場合、責任者が辞任などによって責任をとることがある。これは歴史的に切腹が責任を取る方法として行われてきたことに由来する。責任を無理矢理とらせることを「詰め腹を切らせる」というのはその名残である。

社会における政治の責任は、最終的には主権者が負うものとされている。これは、主権者の信任によって政治の行為者が選出されているためであり、直接統治・間接統治いずれにしても主権者が選択した行為に基づくからである。また、信任できないのであれば、手順に従って罷免することができる。 重大な政治的過誤があった場合、為政者が辞任するなどの形で責任をとることもある(内閣総辞職、議会の解散など)。政治的責任と法的責任は別物であるが、収賄などの犯罪行為について、法的責任(刑事責任)が発生するのとともに、政治的責任も発生し得ることは当然である。

責任は、社会における自由に伴って発生する概念である。自由な行為・選択に伴い、その結果に応じた責任が発生する。現代社会において保障された自由を行使する際には、その行為に応じた責任を認める必要があるが、それと同時に、その行為に応じた責任以外を認める必要はない。何が「行為に応じた責任」に当たるかは道義的なレベルにおいては不明確であり、しばしば争いの原因となる。また責任の概念は、他のことを意志できること、少なくとも意志したとおりの行為を為すことができるという意味での自由意志の概念を前提としている。

そのため責任は、伝統的に自由意志の問題と結び付けられてきた。また一般には、責任は原因とは区別される概念である。BがAの原因ということだけからは、BがAの責任を担うべきことが結論されることはない。日本社会における責任は、本来の意味とは異なり、義務あるいは義務に違反した罰を負担することを意味することが多い。あるいはリスクを負担することを意味する場合もある。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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